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2008年11月27日 (木)

寒い

室内の気温19.2度。外は雨。今日はまだホカロンを腰や背中に貼っていないから、コ-ト着て縮こまっている。

母の死から2週間、ほんとに母には悪いことをした。味がしないから食べたくない、といいはじめて、どのくらいで亡くなったのだろう。残したご飯を取りに行かなくなって、国立博物館の等伯を死ぬ前に見たいを7月27日頃付き添ってのこちらの疲労やこちらのイヤなあれこれでこっちがウツ状態になって、暴言をはいて・・・・・・久し振りに会って病院に連れていったのが9月11日。10月31日まで入院して、11月11日再入院・・・・・・私が早くに殺してしまったのだ。

時間ができたらミニミニ仏壇を買おう。綺麗で活発で頭がよくて正直でまじめで・・・こんなにいい母をいじめたなんて・・・・・冷酷な弟のせいもあるのだぞ!彼は納棺の日も高いへんな笑い声をたてていた。

そんな、こちらが辛い八年間、こちらの辛さに冷酷で、一切スル-だった奴が、今頃、母の遺志(志とは違うのだけど、広辞苑では適当な字がみつからない)が私を心配していたから、遺産はみんなこっちへ、と言われても、よけい罪の気持ちが強まるばかりだ。お金のために母を殺したということになるじゃないか。

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2008年11月17日 (月)

母の死後4日目

自責の念で涙が出たり、お酒飲んでほっとしたり、冷酷な娘だ。

母が苦しんで亡くなった晩やお通夜の晩は睡眠薬でぐっすり寝てしまったのに、2日ほど睡眠薬のんでも12時1時と目覚めて、睡眠薬を追加してもなかなか寝付けない。睡眠薬が効いて起きるのが8時前後というのが困るのだ。ま、急な仕事がないから仕方がない。なんとか今夜はちゃんと薬が効いて、久し振りの体操に行けますよう。お母さん、ほんとに勝手な娘でごめんなさい。旅行もずうっと何年もいけなかったのだから許してくださいね。

四国八十八か所巡礼で贖罪したい気分だが、引っ越し、家財の廃棄、仕事と忙しい。今日年賀欠礼のハガキを申し込んできた。

ほんとにお母さん、今頃じゃ遅いけれど、ごめんなさい。天国でまた人気者でいてくださいね。

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2008年11月14日 (金)

親不孝娘

母の死で昨日は涙が流れてしょうがなかった。遺体は弟のところにあるし、家族葬だしで、とくにすることもなく、何していたかしら。

母から棺に入れて、と頼まれていたものを思い出し、母の住まいに行き探した。筆できれいに書かれた大正時代の女学生の母の母、西田きくえさんの日記だった。

明日納棺に間に合うように弟のところへ持っていくつもり。

母のきりりとした幼少時の写真は火災で失われてしまっている。そのころが一番幸せな母だったのだろう。

火災のあとのマンション暮らしが幸せだったと言ってくれたが、私はまえにも書いたように、ロ-ンがきつくて売りたいと文句を言ったのだった。だから母は、早くお迎えがくるように、と何度も言っていた。母に申し訳なくてまた涙があふれる。

泣きたくないので精神安定剤を酒で飲んだ。なんかこれまでの緊張がほぐれてホ-ッとしてなにもする気力が出ない。午前中は仕事をとりにいったのだが。

母が重荷だったとは言えないが、ひとりぼっちにはなってしまったが、今は母にはわるいけど気楽になった感じである。

母の日記には毎日のように、簡単だが私のことが書かれていたというのに。母はお金をつかって楽しんでもよかったんだよな。苦しいのは私だけだったんだから。子供たちに残そうなんて考えなくてよかったのに。だからガンになっちゃたのだ。ほんとにごめんなさい。そしてありがとう。これまでわびしい暮らししていた私だから、時間はヒマな時もできるから、楽しませていただきますね。母の財産、弟はどうするのかなぁ。マンション売却にも遺産分割協議書が必要になって、ちょっとめんどうになった。

でも、個室の高い病室2日しかつかわないで、介護もわずらわせないで、ほんとに子供思いの母でした。まじめで正直で楽しくて綺麗で運動神経よくて頭のよかった母、天国で幸せに暮らしてくださいね。

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2008年11月13日 (木)

母、入院先で亡くなった

弟の家で10日間、救急車で入院した母を昨日見舞った。

個室で照明のせいか、汗ばんでいたせいか、酸素マスクをしている母は顔色良く綺麗に見えた。話すのも苦しそうで、30分で帰る。バイバイと手をふった母はかわいかった。

安心して、引っ越しの疲れもあって睡眠薬でぐっすりの私。夜中に容態が急変し2時35分息をひきとったそうだ。弟夫婦が見守ったのかしら。

遅い朝に知って、涙が止まらない。安定剤を飲んだらなんとか止まった。

棺にいれてほしいと言われていた、母の母の書きものを探しにいかなくちゃ。

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2008年11月12日 (水)

母、退院、また入院

9月12日に入院した母は、10月31日に退院しなくちゃいけないようになり退院。そして弟の家に移り、11日救急車で弟の家の近くの病院に入院した。

前の入院では右の肺に水がたまったのだが、今回は左の肺だそうだ。2~3週間といわれたが、病院のほうが暖かくて、弟の奥さんの手間がかからない。できるだけ長く入院していて欲しい。

昨日は筑紫哲也さんの追悼テレビ番組を見ていた。500日の闘病生活という。母の場合、肺にガンが転移したのはいつだったかしら。もう病名も思い出せないが血栓症で入院したのは一昨年の秋だったかな。そのとき肺のガンはあったかなぁ。

とにかく呼吸困難で食事もとれず、一時ガンの薬の副作用で62.3キロくらいに増えたが、10月31日では44キロ。今はもっと減っているのだろう。

弟夫婦とは長い間ケンカをしていて、ウップンをはらせないひとりぽっちの私はメ-ル、FAXでめちゃめちゃ弟夫婦に暴言をはいた。が、弟の奥さんは冷たいながらこちらに母の容態をしらせてくれる。ありがたいことだ。

また、母の住まいのロ-ン他の負担と弟憎さゆえ、弟と早く縁がきれること、つまり母の死を願った私もひどいもんだ。母も亡くなれば、父も、母も私が殺したことになるのだろう。

母の死のあと、ちゃんと仕事続けられるかなぁ。父が火災で起こした土地の処分で悩んだときは、母と一緒に死にたいと話していた母と自分だが、今は私もそのうち仕事をやめて、少しは遊ぶ暮らしをしたいと願っている。罪深い自分だ。神様は許してくださるだろうか。

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